01.非日常の中に見たあの人の日常。
*つくし
まだ朝方、早朝五時。
姫乃は何かゴツンという様な物音で目を覚ました。
上半身を起こし、まだぼんやりする目と頭できょろきょろと部屋を見回す。
カーテン越しに差し込む薄明かりの為、部屋はじんわりと明るい。
ぐるりと一周見回して、部屋の中には何の異常もなかった。
「何の音だろう。」
気になって立ち上がる。
つい数日前、うたかた荘にハセがやってきて、それを明神が倒したばかりだったので少し物音に過敏になっていた。
何が来ても明神が倒してくれるとは思うのだけれど、まだ怪我も治りきってない様だったし頼りっぱなしもいけない気がした。
部屋から顔をそっと出し、廊下を覗くけれど誰もいない。
おかしいな、と首をかしげて恐る恐る階段の方まで移動すると、その階段の一番下に明神が転がっていた。
「ぐー…。」
と言いながら体を半回転させる明神。
狭い階段下。
転がった勢いで壁に頭をぶつけてゴツン、と派手な音がした。
「…これか。」
音の発信源を確認すると、姫乃は安心すると同時に慌てて階段を駆け下りる。
少なくともこれで二度、明神は壁に頭をぶつけている。
「明神さん、起きて、起きて。」
「うう〜?」
寝ぼけて頭をぐらぐらさせる明神の両肩を捕まえて引っ張り、上半身を起き上がらせる。
ぐらぐらする上体は思ったより重くてうまく支えられない。
「あ?あ、あ。」
抱えた明神の体がぐらりと傾いた。
「あー…。」
ゴリッ。
「ぐェ。」
明神の頭はぐしゃりと壁にぶつかった。
「きゃー!」
思わぬ二次災害に悲鳴をあげる姫乃。
明神はぐったりと寝そべって暫く痙攣していた。
「いやあ、ごめんな。びっくりしただろ。」
「うん。でもゴメンね。怪我だって治ってないのに。」
「いやあ。全然平気。」
…頭をぶつけた明神が寝ているのだか気絶しているのだか解らなくて姫乃がオロオロしていると、明神はむっくりと起き上がった。
痛む頭を撫でながら姫乃を見つけると、明神は何が起こったのかわからずに首をかしげ、姫乃は目覚めた事にほっとしながら事の次第を説明し、謝った。
二人は階段に並んで座り、他の住人を起こさない様小さな声で会話をしている。
「頭、痛くない?凄い音がしたけど。」
「多分、タンコブできてると思うけど…まあこれも直ぐ治るよ。」
すぐ治ると言われても、自分が倒してしまったせいなので気になってしまう。
「ちょっと見せて?傷になってると良くないから。」
「ん。」
明神が頭を傾け、姫乃が白い髪をかき分け傷を探す。
「イテ。」
手が触れた時に明神が痛みを訴え、その場所を見てみると大きなコブが出来ていた。
「わ、痛そう。傷はないけど、大っきなコブが出来てるよ。」
痛いのは明神なのに、姫乃が眉をひそめる。
「…本当に直ぐ治る?」
「うん…あのでも、ちょっと今の体勢、苦しいかも。」
アバラを押さえて言う明神。
姫乃は大慌てで手を離した。
「ご、ごめんね!ごめんね!!」
「いや…。」
実のところ、確かに斜めに傾いた体勢は折れているアバラに堪えたのだけれど、それ以上に姫乃の指が髪を撫でたり、頭や顔に触れたり、重力の関係で頭が小さな膝に乗ってしまいそうになるのを我慢する事の方が耐えられなかった。
「膝に乗ってくれても良かったんだよ?」
ポンポンと膝を叩く姫乃に、明神は全力・音速で首を振った。
「いやいやいやいや、駄目だって駄目だって。重いし!脂っぽいし!ヨダレついちゃうし!」
「…そう?」
残念そうに言う姫乃に、明神は複雑な思いをする。
残念がってくれるのは、膝枕をしても良いと思ってくれている訳だから嬉しい。
躊躇無く膝枕をしても良いと言うのは、あまり男として意識されていないのではと思い寂しい。
「じゃあ、オレ寝なおすけど、ひめのんどうする?」
そそくさと立ち上がる明神。
これ以上ここにいると、居た堪れない気持ちに押しつぶされてしまう。
「んー…どうしようかな。ご飯作らないといけないし、起きとこうかな。」
「そっか。じゃあ寒くない様にな。」
「はい。」
手を振って明神は管理人室へと戻って行った。
戻ったと言うより、本当は逃亡したのだけれど。
その背中を見送って、姫乃は一人ため息を吐く。
ちょっと硬い髪や、筋ばっている頬や首筋に触れた手を見つめた。
膝に乗っても良かったなんて、良く言えたものだと今更顔が熱くなる。
ただ、出会った頃から今まで本当に強い姿しか見せてくれなかった明神が、強がらない本当の姿を見せてくれた事が嬉しくて嬉しくて。
強い案内屋の明神さんをカッコいいと思っていたけれど、本当に何でもない、例えば寝相が悪かったり、頭をぶつけてコブを作ったり、落ち込んで背中を丸めたりする特別な人ではない「管理人明神さん」の姿を見ると、変な言い方だけれど姫乃はほっとした。
この手も、伸ばせばきっと届くんだとほっとした。
布団に戻った明神は眠れない。
今まで陰魄と戦ったり死者と生活したり金銭的に切迫した生活に追われたり、混沌とした日常を送っている思っていたけれど、女子高生と共同生活するなんて明神の人生計画には無かった事だった。
もう少し言うと、その女子高生を好きになるなんて、予想も想像も妄想もしなかった。
三月頃、新しい住人が女子高生であると解った頃は、特に意識なんてしていなかったのに。
「うあ…これマズイぞ。マズイ。」
呟く明神は布団の中で胸を押さえる。
日常と化した非日常の中に飛び込んできた女子高生は、明神の平穏かつ物騒な毎日を脅かそうとしていた。
02.「サングラスと女子高生」へ続く。
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