03.家族の食卓 *つくし

先に食事の部屋へ戻った姫乃は赤くなった顔を掌でパタパタと扇いだ。

無我夢中、我を忘れ、頭に血が登り。

とにかく色んな表現で自分の行動に理由を付けて言い訳をしようとするけれど、思い出す度に顔が熱くなる。

驚いた顔をしていた。

それはそうだと思う。

もし自分が寝ている時に、突然、明神が馬乗りになって説教を始めたら謝る前に悲鳴をあげる。

勿論恥ずかしくて。

「う〜…。」

もう一度自分の行動を思い出し、頭を抱える。

そして、朝食だという事は解っている筈なのに、まだやって来ない明神の事も気になった。

いつも通りならもうこの部屋に来てご飯を一緒に食べている時間。

怪我をしているというのに、お腹の上に乗っかって説教をしたりしたから、傷が開いて…。

スカートであんな事、もしかして怒ってるとか、嫌われたとか…。

お味噌汁の匂い漂う部屋で一人、頭を抱えたり不安になったりしていると、やっと明神が現れた。

「…うーす。」

虚ろな目でのっそりと入ってきた明神は、静かに自分がいつも座っている椅子に、つまり姫乃の前に座った。

腹に手を当てているのは、アバラ骨が折れてからの無意識の癖。

姫乃の眉がハの字に歪む。

「あ、えっと…。どうぞ、食べて下さい。」

姫乃が勧めると、明神は軽く頷いて茶碗と箸に手を伸ばす。

「…頂きます。」

目は合わせて貰えなかった。

ああやっぱり、怒ってるのかもしれない。

姫乃は頭の中で、精一杯頭を抱えて落ち込んだ。






姫乃が一人自己嫌悪に陥る中、明神は明神で黙々と食事をしながら頭の中が一杯一杯になっていた。

未だ痛みと共に腹に残る柔らかい太ももの感触とか、真上から流れる黒い髪とか、自分を見下ろす大きな目とか。

太ももの感触とか、柔らかい感触とか、こう、ちょっと圧迫感があって、でももっちりとした感触とか。

…どうか、責めないで欲しい。

姫乃が若い若いと言われるけれど、明神だってまだ23歳、十分まだ若い成人男子。

悶々としながら味噌汁に手をつける。

ずるりと吸うと、美味い。

…少し頭を冷やそうと思う。

チラリと姫乃を見ると、大変申し訳なさそうな顔をしてご飯を食べていて、逆にこちらも申し訳なくなってきた。

考え方を変えてみよう。

少々混乱している頭を落ち着かせ、普通に、自然に姫乃と接するウマイ方法を考える。

「あの、明神さん。ご飯、おかわりあるよ?いる?」

チラリチラリと明神の様子を伺っていた姫乃が、お茶碗がカラッポになったのを見計らって声をかけた。

「あ、お願いします。」

殆ど反射的に口が動いた。

食事に関して遠慮が無い自分を呪う明神。

申し訳なさげに差し出した空の茶碗にお米をよそう姫乃。

明神は口の中の玉子焼きを飲み込むと、ゆっくりと息を吐いた。

まず、二人の関係性について。

一緒に食事をして、甲斐甲斐しくおかわりをよそいでくれるこの娘だが、この娘を年頃の女性と意識してしまうからいけないとしよう。

なら、この姫乃を別の関係性で考えてみよう。

意識しないで接する事ができる関係に。

「はい、どうぞ。」

「あ、サンキュ。」

―嫁。

「ブッ!!」

いきなり嫁という単語が頭を貫き、明神は一人吹き出した。

「だ、大丈夫明神さん!!お腹痛い!?」

「い、いや…違いマス平気。」

心配そうに見つめる姫乃の視線から逃れる明神。

サングラスを深くかけなおす。

嫁は駄目だろ。

というか、最も考えてはならないものから先に出た。

違う違う!!

そう、例えば…妹。

兄妹としよう。

女子高生の妹に腹の上に乗っかられて欲情する兄は居ないだろう。

…何だか響きはとてつもなく怪しい気がするが。

とにかく妹、もしくは従妹。

血縁関係にしてしまえばいい。

そう、家族にしてしまえばいい。

今この部屋は、明神家の「家族の食卓」という事ならどうだろう。

そう自分を納得させると明神は心の中で「よし」と呟くと顔を上げた。

顔を上げると姫乃が心配そうにこちらを見ていた。

「あーっと…ひめのん。怪我は本当に何ともないから。」

目を見て話すのは、この部屋に来てからはこれが始めてになる。

姫乃の顔が、少し明るくなる。

「本当に?さっきから顔色悪いし、何か考え事してたみたいだし…。」

どうやら、今までずっと一人百面相をしていた様だ。

慌てて笑ってみせる明神。

「いやホント、大丈夫。味噌汁おかわりいいか?」

「うん!」

明神が差し出したお椀を姫乃が受け取る。

セーラー服の背中がガス台に置かれている鍋へ向かい、手にしたお椀にまだ暖かい味噌汁をよそう。

そして。

「はい、どうぞ。」

細い腕に、指に支えられたお椀が笑顔で差し出される。

それを包み込む様に受け取る。

「…ありがとう。」

―ああ、妹はないな。

従妹もないな。

やっぱり、ひめのんはひめのんだ。

家族は家族でも、どうせならもっと違う家族がいい。

例えば、そう。

気が早いって笑われたって…出来るなら夫婦がいい。

誤魔化す事が出来ないなら、真っ向から戦うしかないんだと何となく明神は悟った。

ただし、どうすればいいかなんて事は全く想像も出来ないけれど。






明神が怒っていない事が解った姫乃は、少しづつ元気を取り戻した。

恐る恐る、伺う様に明神を見ていたけれど、だんだんといつも通りに笑い、話しかける。

「今日はね、苦手な授業があるんだ〜。」

「今度ね、友達をうたかた荘に呼んでもいいかな!」

「聞いてよ明神さん!昨日ガクリンがね〜。」

不安だった事が解消されると反動で陽気になる。

今朝の姫乃は良く喋った。

明神はそれをうんうんと頷きながら聞く。

「でね、隣のクラスの佐々木君って男の子がね、ぶっきらぼうなんだけど時々話しかけてきてね、何だか…あ。」

姫乃がチラリと時計を見た。

「あー!!!遅刻しちゃう!」

姫乃は黄布のリボンが結ばれた鞄を引っつかむと、猛ダッシュで玄関へと走る。

…佐々木が何だ?

気になる会話が途切れたけれど、とにかく明神も後を追い、登校する姫乃を見送る。

「走って転ぶなよ!」

既に背中が小さくなっていく姫乃に大声で呼びかけると、姫乃が振り返って手を振るのが見えた。

腹に力を入れて声を出した為、癒えていないアバラが軋む。

ふー、と大きくため息を吐き、まだ食事が途中の部屋へと戻る。

朝から姫乃に何かしら良くない思いをさせてしまったと反省しながら、あの太腿の感触は一時保存して忘れようと決めた。

それよりも気になるのは、姫乃の口から出た男の名前だ。

こんな事をいちいち気にするのはみみっちいけれど、姫乃から友人以外の名前が出るのは珍しく、少し気になった。

「…やめやめ。」

ブンブンと首を振り、食べかけの味噌汁を一気に飲み干す。

洗い物は明神の役目になっているので、残った食器を重ねて片付けようとした時。

「…あれ?」

机の上に小さな包みが置いてある。

手にとってみると、どうやらそれは姫乃のお弁当。

「あ、ひめのん忘れたんじゃねえのか、コレ。」

選択肢は三つあった。

1.今から急いで届ける。

2.高校へなんて行けない。食べてしまう。

3.このまま置いておく。

1=今から行けば姫乃が校門に入る前に追いつけるかもしれない。

ついでに言うと、あの佐々木という人物の顔くらい拝めるかもしれない。

それらしい気配があれば、多少牽制しておくのも悪くはないかもしれない。

2=姫乃には悪いけれど、今までの経験からして自分が学校付近にうろつくのは宜しくない気がする。

黒いコートは置いていくとしても、この頭でこの時間であの場所で。

姫乃という特定の人物を探してきょろきょろしていたらまず不審者に間違われる。

置いておいても腐ってしまうだけだし、これは姫乃がたまたま自分に残してくれたお昼ご飯だと割り切って帰って来てからお礼をする。

3=これを見なかった事にしてしまい、帰って来た姫乃が「あーやっぱり忘れてたんだー!」というのを笑いながら聞く。

「ぬぬ…。」

明神は腕組して考える。

そうこうしているうちにも時間は過ぎていく。

朝からどうしてこう、もやもやとした出来事が続いてしまうのか。

明神は弁当箱を片手に唸り声をあげた。


04.「言わなければ良かった」へ続く。

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