みえるひと 明神×姫乃




腕を組み、悩み始めてから5分が経過していた。
右手には可愛い布で包まれたお弁当箱。
左手は伸びかけの無精ひげをざらりと撫でる。

アルバイトも、別段していない姫乃のことだ。
自分に払う家賃以外の小遣いなど、たかが知れているだろう。
購買部はある、と言ってはいたが、
無駄遣いさせるのも可哀想だし・・・。

「悩んでても仕方ない!うし!エージ!」

明神は、1の選択肢を選んだ。


04.言わなければ良かった。*美咲

行くと決めたら、すぐ行動。
いつのまにかリビングに下りてきてうたたねをしている
エージに事情を説明し、管理人室にかけこむ。

「コートとサングラスは・・・おいてくか」

不審者に間違えられるのは、もう慣れっこで、
自分が何を言われようと気にしないのだが
姫乃にまで迷惑をかけてしまうなら、別だ。

ジーンズに黒のパーカー、それにスニーカーという
髪以外は、どこにでもいる若い男の格好で
明神はうたかた荘を走り出た。

「・・・っぅ、まだ全速力では走れないな」

姫乃の学校まで一直線、わき腹の骨が軋むので
全速力とはいかないが、精一杯の速さで明神は走る。

登校する何人もの生徒を追い越して
校門が見えるあたりまでつくと
ちょうど校門をくぐる姫乃の後姿が見えた。

当たり前だがこちらには気がついていない。
遠いところから大きな声で呼んでも注目されてしまうだろう。
もう少し近づいてから、と、「ひめのん」と呼ぶ声を抑えていま一歩足を進めると
自分が呼ぶ前に違う男が、姫乃のことを呼んだ。

「はよ。桶川」

「あ、おはよー!」

姫乃が振り返った先には、野球のバックを持って
のそっと歩く少年の姿。身長は姫乃より少し高いくらいか。
心なしか、雰囲気がエージに似ている気がした。

なんとなく直感で、こいつが佐々木かな、と思う。

少し遅れて、明神も姫乃の名を呼んだ。

「ひめのん!」

「え?あ、みょうじん・・・さん?」

校門の入り口でなにやら立ち話をしていた姫乃は
ぐるん、と明神に笑顔を向けた。

この笑顔が佐々木(と思われる男)にも向けられていた
と思うと、おもしろくない。

「ひめのん、弁当忘れてたからさ。届けにきた。」

息を整えながら弁当を差し出すと、姫乃はキョトンとした顔で
何か言おうと口を開いた。が、それを遮るように隣にいたエージ似の学生服が
明神を一睨みして。

「おっさん、誰?」

とぶっきらぼうに話し掛けてきた。
心なしか声までエージに似ている気がする。
おっさん、と呼ばれたショックと
こいつかわいくねぇな、という怒りが同時に湧いてきたが
平静を装って、コホン、と咳をする。

「いつもひめのんがお世話になってます。ひめのん、彼はクラスメイト?」

「あ、えーとそう!佐々木くん、席が隣の!」

「あー彼がね。」

なるほどなるほど、とわざとらしく首を縦に振る。
佐々木は、無言で『それじゃ答えになってねぇよ』と睨み付けてくるが
明神は答えずもう一度深呼吸をした。

否、答えられないのだ。

家を出るときは、「姫乃に手出すなよ!」なんていって
牽制してやろうと、かなり強気でいたけれど
いざ、高校に来てみると、自分がどれだけ場違いを
身にしみて感じてしまう。

制服。始業チャイム。部活。校庭。
青春。恋愛。自分には縁遠いものばかり。

高校生の恋愛を踏みにじる権利はどこにもないし
ましてや、こんな場所で過ごす姫乃と自分に
釣り合いが取れるとは、到底思えなかった。

事実、自分と姫乃の関係は契約関係でしかない。
とりあえず向こう三年間、高校を卒業するまで
3号室を貸しますよ、という契約関係。

姫乃にとって自分は『アパートの管理人さん』でしかないのだ。

「えーと、俺は」

ようやく口を開く。

「ひめのん・・・いや、桶川さんのアパートの管理人で・・・言わば大家さん、かな」

「ふぅん。」

ヘの字に曲がっていた佐々木の口が
一瞬、ゆる、と緩む。

「桶川。それ本当?実は彼氏・・・とかじゃなくて?」

「いや、それは断じて違う!だってひめのんはまだ高校生だ・・・し・・・」

あ。言わなければ良かった。言いかけて、とっさにそう思った。
今の自分の言葉は好意を寄せる人の前で
「君は恋愛対象外だ」と言ったのと同じだ。

佐々木の口車に乗せられて、自分の気持ちとは真反対のことを
言ってしまった。 

自分の心のうちで激しく後悔していると
一瞬、悲しそうな目をした姫乃が視界に飛び込んだ。
目を見開いて、それからすぐに唇をかんだ。
視線は、足元。

「・・・へ?」

なんなんだ、その反応。わけがわからない。

『違う』とひめのんも精一杯否定するもんだと思ってた。
俺が否定すれば、これでもかと同意すると思ってた。

なのに。

「あ、ひ、ひめのん・・・?」

「・・・管理人さん」

管理人さん、と呼ばれてものすごく寂しい気持ちになる。

「・・・はい」

「お弁当っ!これありがとうね!わざわざ!アパートから!」

心なしか怒ったような声で姫乃は
明神の手から弁当をもぎ取った。

「今日はっ!エッちゃんちに寄るので遅くなります!
 夕飯も・・・一人で食べてください!!」

言い終わると同時、予鈴が響いた。
行こう、佐々木君と、三人の中で一番先に
その場をあとにした姫乃は、弁当をかばんの中に押し込める。

「気ぃつけて帰ってこいよ!」

平々凡々、いつもかけている言葉。
それしかかける言葉が見つからない自分が、歯がゆかった。

*

一方、姫乃はおもしろくなかった。

一限目から、お昼前の今に至るまで
ずぅっと、朝の校門でのやりとりを思い出していた。

まず、佐々木君に声をかけられた。
そこで、いきなりお弁当を持った明神さんが現れた。

それで。
佐々木君が、何故だか分からないけど「彼氏なんじゃないの?」と疑いをかけてきた。
違う、と自分でも否定しようとした。

でも。

明神さんに思いっきり否定されたのが、本当に本当に、ショックだった。
入居者と管理人。たぶん、ただそれだけの関係なんだということを思いしらされたから。

私たちは、少し特別なんだ、と思っていた自分が恥ずかしくなる。
『お膝にどうぞ』と言った今朝の自分の事も
朝からはしゃいで遅刻しそうになった自分の事も。

消してしまいたいくらいに、悲しかった。

「ひめの・・・姫乃!」

「・・・ふぇ!?」

ぼぉ、と物思いにふけっていると
目の前に友人の顔が一面に広がった。

「ふぁ!エッちゃん!もーびっくりさせないでよ!」

「馬鹿!こっちのセリフだよ。四限終わってから何分ぼーっとしてんの?ご飯食べよ、ご飯。」

「・・・はーい」

また、ノートを取らないままぼぅと授業を過ごしてしまった。
姫乃は、鞄からお弁当箱を取り出した。

「え、えぇ?姫乃、いつからそんな大食いになったわけ?」

「・・・いつも!さぁー食べよ食べよ!エッちゃんもパンだけじゃなくてこっちもつついてね!」

机の上に並ぶのは、姫乃用のお弁当箱とそれより一回り大きい弁当、計2個。
一回り大きな弁当の布巾を解くと、ぺらり、とメモ用紙が床に落ちた。

『明神さんへ。お弁当作ったので食べてください。おかずしか詰めていないので
 ご飯は冷蔵庫のをチンしてね。ちゃんと温めて食べてください。 姫乃。』

急いで拾って、くしゃと丸めて制服のポケットに突っ込んだ。
机を移動している友人は、気が付いていないようで、好都合だった。

『お弁当っ!これありがとうねっ!』

さっき自分が言い放った言葉を後悔する。

『管理人さん。』
管理人さん、と呼んだ時の、明神さんの顔、寂しそうだった。

明神さんの言葉で、悲しくなったからって、
こんないじわるなコトをしてしまった。
あんなこと、言わなければ良かった。

『それ、明神さんのお弁当だよ!』

そう、言えたなら良かったのに。
感情に任せて、八つ当たりして。
こんなに子どもだから、大人の明神さんに相手にしてもらえないんだ。

姫乃は、お弁当を見て歓声をあげる友人を尻目に、
小さくため息をついた。

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05.「それぞれ、想いの解消法」へ続く。

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