みえるひと 明神×姫乃




「腹、減った・・・。」

寝ているだけでも、こんなに悩んでいても腹は減る。
自分の単純さ、もとい人間の単純さに軽く腹を立てながら
明神はコンビニで適当に見繕った昼ごはんにかぶりついていた。


06.ボーダーライン* 美咲


こんな味気ない食事は久しぶりだった。
姫乃がうたかた荘に着てからというもの

『そんなんじゃ死にますよ!』

と、長年友としてきたカップラーメン・インスタント食品の類を
没収されてしまった。

『明神さんは、きっともう一生分インスタント食品食べたと思いますよ?』

管理人室に散らばる、ある意味コレクションのインスタント食品の山を見て、
姫乃があきれていて。

『これ、食べてください。』

初めて、一緒に夕食をとった時の姫乃の顔を思い出す。

あきれるだけあきれて、放っておいてくれれば良かったのに、
姫乃はヒョイ、といとも簡単に自分が彼女との間に引いた「ボーダーライン」を
またいできてしまった。

『管理人』と『ただの入居人』であろう、と
必要以上の深入りはしないで置こう、と引いた心のボーダーライン。

「・・・そもそも、最初に踏み込んできたのは、ひめのんだ」

簡単に、そのボーダーラインは消え失せてしまった。
ご飯が出来たよ、と声をかけられれば食べに行く。
洗濯物を取り込んでおいて、と言われれば取りに行く。
最近では、こともあろうが「肉じゃがが食べたい」と
リクエストまで、してきた。

薄くなり、そして次第に消えていった、『管理人』と『ただの入居人』の境界線。
境界線は、溶けて混ざって、『家族』のようなものになった、と明神は勝手に思っていた。
朝、確かに感じた家族という感覚。
でも、それは妹とか従姉妹とかそういうんじゃなかった。

佐々木に姫乃が笑顔を向けたとき、感じた感情は、あきらかな嫉妬。

『管理人』と『ただの入居人』という境界線を、越えた自分が次に越えたいと切に願っているのは。

――――『男』と『女』という境界線。

もしかして、ひめのんも? 
昼間の、姫乃の顔を思い出して淡い期待がじわりと湧くが。
「管理人さん」と自分をにらみつけた姫乃の顔を思い出して
期待はみるみるうちにしぼんでいく。

「どうすっかな・・・」

誰にも言えない思いを抱えて明神は、姫乃と出会った公園で
ごろりと横になった。

一方、姫乃は積まれた雑誌の中から
読みやすそうな薄い雑誌を引き抜いた。

これで、五冊目の参考文献だった。

「・・・・エッちゃん、これ本当に全部読むの?」

「もちろん!明神さんに!好きだって言わせたいんでしょ?」

「・・・う・・・」

言葉に詰まって、ペラリと雑誌を捲ると
隣に寝そべっていた姫乃の友人はあきれたような顔をしてふぅ、と息を吐いた。

「・・・まぁね。私もこんな雑誌全部読んだら答えが出るなんて思ってないよ?」

「・・・うん」

「色仕掛けー!とか言ってみたけど。よくよく考えたら姫乃が色仕掛けって・・・なんかヤだし。」

「・・・うーん」

からかったと思えば、しっかりと真面目に相談に乗ってくれる親友が
姫乃は大好きだ。

甘えるようにころ、と友人の方に転がると
なでなで、と頭を撫でられる。

「・・・んで、何か分かった?恋する姫乃ちゃん」

「・・・なぁんにも、分からない。」

「そっか。ま、こんなんで分かったら誰も苦労はしない、かぁ。」

友人もコロ、と姫乃の方に転がると
そういえば、と口を開いた。

「姫乃って、明神さんのどんなとこがすきなの?」

「・・・え!えええっ?何、何エッちゃん突然!」

「・・・姫乃。慌てすぎ。」

耳まで一気に上気させてわたわたとしている姫乃を
彼女の親友は落ち着かせると、
一息ついていった。
「興味あるんだ、姫乃の好きな人の事。」

「えぇ?な、なんで?」

「だって、大事な大事な親友の、好きな人だからね。」

照れて、ほにゃ、と笑う姫乃の口に、クッキーを押し込みながら
エッちゃんと呼ばれた子は照れたように言った。

「う・・・明神さんはね・・・。だらしなくて、ほっとけないの。
 だって、三食インスタント食品食べてるんだよ?
 それにそれに、言わなくちゃ洗濯物も出さないし。」

「なんていうか、不摂生を絵に描いたような男の人だね?」

「そう、そうなの。だからね、私最近は明神さんの分も作ってあげてるの。
 朝ごはんと、お夕飯は絶対。お昼ごはんまでは・・・おせっかいかな、と
 思ったんだけど、今日始めて作ってみたんだけど・・・あぁ、本当後悔。」

「え、姫乃、明神さんの分のご飯も作ってあげてるの?」

「うん・・・変かな?洗濯も、時間があるときはやってあげてる」

「・・・・・・。そーなんだ。」

「お風呂上りには、上半身裸でうろついたりして、
 ちょっとデリカシーに欠けるんだけど。」

だんだんと、姫乃の声が大きくなっていく。

「でも、すっごくすっごく優しい人。私が夜眠れなくて起きている時、
 黙ってホットミルクを作ってくれたりして、眠くなるまで一緒にいてくれるの。お仕事している時も
 すごく、頼りになるし・・・私も、助けられたしね。とっても、いい人なの。」

「ホットミルク・・・・・・。」

「うん。料理全般は苦手で、私の方が得意分野なんだけど、ホットミルクだけは
 明神さんが作ったほうがおいしーんだよね。温めるだけなのに。何でなんだろう。」

それでね、とまだ続けようとする姫乃を遮り、恵津子は口を開く。

「姫乃と明神さんて」

「うん?」

「完璧に越えてるね、ボーダーライン。」

「ボーダーライン?」

「そ。『管理人さん』と『住人』ていう、ボーダーライン。まるでさ、夫婦みたいじゃん。」

ボン、と姫乃の顔が分かりやすく変化して、恵津子は思わず噴出してしまった。
ほとんどの三食を共にして、洗濯までしてあげて。
眠れないときには、ずっとそばにいてもらって。

今更こんなに赤くなる姫乃にはやはり色仕掛けはムリだなぁと
なんとか呼吸を整える。
「姫乃がすっごく明神さんの事が好き。てことは分かった」

「・・・うん。」

自分でぼんやり自覚していたことだが、自分以外の誰かに
そう言われると案外恥ずかしいものだ。
姫乃はコックリと頷く。

「じゃさ。姫乃は明神さんと、キスしてみたい?」

「・・・へぇ?!」

「だーかーら。キスよ、キス。別にそれ以上のことでもいいけど。
 ABCのCでもいいけど!」

「・・・ええええぇぇ?」

小さい両手で顔を覆ってゴロン、と横になった姫乃は
そのまま床とにらめっこしている。
一人で百面相している姫乃の頭をぐりぐりと触って
恵津子はもう一度聞いた。

「キス。とかさ、したいと思う?明神さんと」

からかっているのではない、ということは彼女の声色から分かった。
だから、姫乃も恥ずかしさを精一杯に我慢しながら、声に出す。

「・・・うん。だって、キスは大好きな人とするもの、じゃない?」

「それ以上も、怖くない?」

「・・・明神さんなら、怖くない。と思う」

「何よ、思うって!」

「だだだだって、その時になってみないと分からないじゃない!」

それもそうだよね、と耳年増の彼女は
雑誌を閉じると、開けて手をつけていなかったポテトチップスをかじった。

「いいなぁ。明神さん、うらやましい」

「ん?」

「こぉんなカワイイ姫乃に想われて、明神さんがうらやましい!」

「ちょっと、エッちゃん、からかわないでよぉ!」

ぷく、と頬を膨らませる姫乃の口にも
一枚、ポテトチップスを含ませて、恵津子はわざとらしくため息をついた。

「嘘じゃないわよ〜。あとね、姫乃のこともうらやましい。」

「私?なんで?」

「だって、姫乃には、キスとか、それ以上とか・・・そんなボーダーラインを越えてもイイ、
 て思えるくらい好きな人ができたんだからさ。私、まだそんな恋したことないもん」

「エッちゃん!!」

ちょっとせつなそうな顔をして笑った友人に
姫乃は思い切り抱きついた。
大好きー、と頬ずりをすると、友人はくすぐったそうに身をよじる。

意識した、男と女のボーダーライン。
恋は、意識した方が負けだと、誰かがいっていた気がする。

「ま、がんばれ!姫乃。姫乃なりの、方法でさ!」

「うん。私、がんばるよ」

女の子同士の、きゃいきゃいとした会話がやっと、終わる。
気が付けば、時刻は夜八時を回っていた。

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07.「先手必勝、とは限らない」へ続く。

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