07.先手必勝、とは限らない*つくし

姫乃は友人に手を振ると、もうすっかり暗くなった道を走りだした。

夜道が怖い訳ではなくて、早く帰って明神に会いたかったから。

友人との会話は姫乃に冷静さを取り戻させてくれた。

勝手に怒ったり拗ねたり、ごめんなさい。

それから。

それから。

がんばるよと言った。

何をどう、という事は結局何一つ決められなかったけれど、自分がどうしたいかがわかっただけでも友人に感謝したい。

ねえ。

あれから、どんな気持ちでうたかた荘に戻った?

怒った?

困った?

お昼ご飯は何を食べた?

今まで何をしてた?

晩御飯はちゃんと食べた?

今は、何してる?

ととと、と軽く走る。

人通りが少ない静かな道。

自分の足音が良く聞こえた。

街頭の明かりを幾つもくぐって、やがて見えてくるうたかた荘の玄関。

自然と頬が緩んだ。

さあ言おう。

全部伝えよう。

待っていて駄目なら、こちらから飛び込まないといけなくて。

いつか言ってくれるだろう何て思い上がってもいけなくて。

作戦名は、先手必勝!

もしも今駄目でも、いつか振り向いてくれるまで。

いや、今から今日からもしかしたらだってありえるんだから。

「たっだいまー!!」

勢い良く玄関を開け、中に飛び込む。

「ああ、おかえりひめのん。やけに元気いいなぁ。」

迎えた明神。

「あ、あのねっ!あのね、明神さん!」

「ん?何?」

「…あのね。」

サングラスの中を覗き込んで、姫乃は、何か違和感を感じた。

「何?ひめのん。」

「…えっと…朝、ごめんなさい。せっかくお弁当届けて貰ったのに、変な態度とっちゃって。」

「ああ、気にしてないよ。」

「晩御飯は食べた?ご、ごめんね色々勝手に決めちゃって。」

「大丈夫。適当に済ませたから。」

「そっか。良かった。」

そこで会話が止まった。

姫乃が感じた違和感の正体は、この「温度差」

友人に相談して、話を聞いて貰い、今までの関係から出来れば一歩前進したい、そう決めた姫乃と。

一人で出歩いて何の答えも見つける事が出来なかったまま、「守り」に入った明神と。

朝の事なんてまるで無かった事の様に、「いつも通り」過ぎる明神を前に、姫乃は立ち竦む。

…どこから攻めていけばいいのかわからない。

わからないけれど、立ち止まる訳にもいかなかった。

「あっと…怒って、ない?」

「ん?何を?」

「朝。何か、八つ当たりみたいな感じになっちゃって。」

「ああ。いや別に。」

手探りでもいい、何か突破口をと思う。

「ごめんね。ちょっと、イライラしちゃって。」

「そっか〜。まあそういう時もあるよな。」

「…理由、聞かないの?」

「ん?」

「理由。私が…怒ってたって言うか、拗ねてた?」

「や…。」

また会話が止まる。

明神は目線をふいと逸らし、何かを考えている。

時間にすると、数秒の事なのに、姫乃には数分にも感じられる。

「いや、まあオレの事だから、気付かない内に何かマズイ事でも言うかするかしたんじゃねえかな〜と、思ってたけど?」

あっはっはと笑う明神。

「まいったなあ。」

ぽつりと呟いて下を向く姫乃。

「…え?」

「何でもない。着替えてくるね!」

一度明神と別れると姫乃は自室へと向かった。

後ろ手に扉を閉めると、きゅっと前を見つめる。

作戦を考え直さないといけない。

今回ばかりは先手必勝とは限らなさそうだった。

もっともっと準備をして、体制を立て直さないと。

セーラー服のリボンをしゅるりとほどいて私服をタンスから引っ張り出す。

いつものTシャツではなくて、最近買ったばかりのお気に入りのワンピース。

鏡を睨んで髪を結い、暫く悩んでやっぱり外す。

アクセサリーを入れた箱を掴んでいくつか合わせ、これにしようと決めるけれど「お出かけするみたい」とやっぱりやめる。

そのうちワンピースにも自信が無くなり一度脱ぐ。

ふと、下着姿の自分を眺めて少々足りないと思われる胸をペタリと押さえてため息ひとつ。

気を取り直してまたタンスを漁る。

自分なりの方法。

悩んでも答えは出ない。

せめて自信は欲しいところだった。

けれど。

好きだという気持ちにまだ早い、なんて事があるんだろうか。

まだ高校生とか、まだ16歳とか、年の差なんて一生埋まらないものなのに、それなら何時まで待てばいいのか。

結局、いつも通りのシャツにスカート。

鏡を前に覚悟を決める。

腹を括ると、どきどきと走り出した心臓を抱え、ずんずん歩いて扉を開ける。

姫乃は明神を目指して進軍を開始した。







その頃、自室にて待機している明神は床に転がり天井を眺めていた。

別に何をしているという訳でもなく、何かを考えているという事でもなかったけれど、何かをする気にもなれずにただそこに居た。

帰って来た姫乃が何か言おうとしている事は判っていたけれど「期待してがっかり」に耐えられる精神状態では無かった為に逃げてしまった。

「理由、聞かないの?」

耳の中で姫乃の声がする。

「聞きたいけどね。」

呟いてごろりと転がる。

どうしてこう、気持ちをかき回してくれるんだろう。

期待させたり不安にさせたり怒ったり拗ねたり急に優しくなったり。

「どれを、信じたらいいんだよ。」

ぶはあとため息をついて、ふと。

目線の先、窓のガラスに何かちらりと映った気がした。

開きっぱなしの管理人室の入り口。

明神は、視線を感じて勢い良く背後を振り返った。

壁の向こう側、長い髪がさっと隠れるのが見えた。

「…。」

姫乃だった気がする。

見間違いでなければ。

ゆっくり立ち上がり、そおっと廊下を覗くと丁度風呂の扉がぴしゃりと閉まった。

「…え?」

明神は混乱した。

今、確かに姫乃が居て。

見張っていた?

誰を?というか何を?

「理由、聞かないの?」

姫乃の言葉がもう一度リピートされる。

「………え?滅茶苦茶怒ってる?」

口に出して、いや馬鹿なとあっはっはと一人で笑う。

それでも恐る恐る、廊下に出ると明神は歩いて風呂場を通過する。

通過して、廊下の先で立ち止まる。

小さな音が、背後から聞こえる。

からから。

風呂場の扉が薄く開く音だ。

背中に汗をかきながら、ゆっくりと振り返る。

姫乃が、扉からこちらを覗き見ている。

目が合った途端、その顔はすっと扉の中に消えた。

背中が凍りつく思いがした。

…狙われてる!?

いやいや、姫乃に限っていくら怒ったからって暗殺計画を企てる様な事は無いだろう、と、思いながらも混乱する思考は止まらない。

バクバクと飛び出しそうな心臓を抱えてソロソロと風呂の前を通り過ぎる。

風呂場の扉は完全に閉まっていた。

「ひ、ひめのん…?何か…あの、用事かなあ〜?」

ひっくり返りそうになる声を抑えながら、そんな訳あるまい、いやまさかと声をかける。

「…何でもないの。気にしない、で。」

扉越しに小さな声が返ってきた。

「あ、開けていいかな〜?」

「駄目!!」

「はいすみません。開けません。すみません。」

慌てて管理人室に飛び込み、扉をしっかりと閉める。

「…え、マジ?」

いや確かに、デリカシー無い事を言った気はする。

怒っていたみたいだし、実際怒っていたし。

けれど帰って来た時はむしろ楽しそうで、そのギャップがその声が「いつも通り」過ぎて、自分が悩んだ事なんか無かった事にされるのが嫌で遠ざけて。

「え?それで怒らせて?」

ギシ。

ギシ。

足音が聞こえる。

姫乃が廊下を歩いている。

その足音は管理人室の前で止まる。

ドアノブがキチリと音を立てた。

けれどそのノブを捻る気配が無い。

姫乃はドアノブを掴んだまま立ち尽くしている。

ドア越しに明神は姫乃の気配を探る。

何か思いつめた様な気配がする。

このドアを開けるか開けまいか悩んでいる。

「マジで?」

今までおっかない陰魄と何度も対峙してきたけれど、その圧迫感よりはるかに精神的に堪える。

別に、姫乃に殴られようがしばかれようが蹴られ様が、痛くも痒くもないのだけれど、憎まれるとなると話が違う。

それだけの憎悪を抱かれる、その事自体が最も恐れる事だった。

胃が痛む。

ついでに治りかけのアバラ骨もきしむ。

長い長いため息を吐き、明神は腹を括る。

姫乃が握ったままのドアノブを、反対側から握る。

その、開かれないままの扉を明神が開いた。

驚いた顔で明神を見上げる姫乃。

「入って。」

神妙な顔をする明神に、こくりと頷く姫乃。

姫乃を招き入れると、扉は閉められた。






畳の上に正座する二人は真正面に対峙しながらお互いの顔を見る事は無かった。

緊迫した雰囲気の中、それでも腹を括った明神が先に口を開いた。

「…ひめのん。あの、本当に、オレ…。何て言ったらいいかわっかんねーけど、ひめのんだけは、って思ってる。」

「え?」

「や、今日の事。本当に、オレ鈍感で、悪かったって。だから、腹括ったから。ひめのんがしたい様にしてくれたらいいから。」

「み、明神さん。し、したい様にって。そ、そんな。」

「あ、そりゃ、あんま、ほら死んじまう様なのはあれだけど、もうどんと来い!ホント、ひめのんに嫌われるのだけは耐えられなさそうだから。」

「え!?き、嫌うなんて。」

「や!!いい!気にしないでホラ!ガツーンとお願いします!!」

明神は目を閉じると歯を食いしばった。

そろそろと姫乃が顔を上げる。

緊張した顔で、目を閉じる明神が目の前にいる。

心臓が破裂しそうだった。

何だかわからないけれど、明神はどうも姫乃の気持ちをわかってくれていたらしくて。

朝あんなに拗ねていたのに、酷い態度をとったのに。

あんな事を言ったのに悪かったなんて言ってくれて。

今こうして。

「じゃさ。姫乃は明神さんと、キスしてみたい?」

友人の言葉が今目の前に。

震えながら手を伸ばして、自分からこうやって触れるのは初めてだろうか?

畳の床に膝を立てて。

少し骨ばった硬い頬を包んで。

びくりと明神が震えた。

「明神さん、緊張してる?」

「…す、すげえ緊張してる。出来れば早めにお願いします死にそう。」

「私も、緊張してます。」

「え?そうなの?」

「ほ、本当はね。明神さんからが良かったな。」

「へ?何が?」

「でも贅沢言っちゃ駄目だよね。」

「え?なに…」

二人の会話はかみ合わないまま、唇が重なった。


07.「転げ落ちる坂道」へ続く。

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